5日間の滞在後、ついに 『花の都 パリ』 を離れる事にしました。
とにかく「公園がキレイ」という印象が強く、することのない日はよくベンチに座って日記を書いたり、いい風景があったら日記帳に絵を書いたり。
「あ。・・・今のオレってちょっとカッコ良いかも・・・・」
と意味のない自己満足に浸ってました。
あと、犬の糞だらけ。今は知りませんが、当時は犬が多くウ○コをさせても拾わない。今、写真を見て振り返れば・・・・よっぽどテンションが上がっていたのか、初期の写真には何故か色んな「ウ○コ」がパシャパシャと写っています。ある日の散歩の途中、パリのはずれに寂れた釣具屋を発見し、閉店時が多かったのですが3回も通って当時、一番仲の良かった友達に「ルアー」のお土産をそこで購入したのもいい思い出です。
雨が多く(最後の日なんかカミナリでした)、人が親切。おいしいケーキ屋さんを見つけてはしょっちゅう通い、ホテルでバカ食いしていました。
動物園にも行きました。
自分は生き物が好きで行った国々の 「”動物園” と ”水族館” は絶対、観てまわる!」と心に決めていましたのでいつもホテルの人を捕まえては迷惑を省みず、長時間拘束し、一番近い動物園&水族館の地図まで書いて貰う。寝る時間が異様に早く(だいたい21時には布団の中)、早起きして朝食をバックにつめ昼ごはんの代わりにして外に出かける。ある朝なんか、手にマグカップのコーヒーを飲みながら、サングラスにパンツスーツを綺麗に着こなした女性の方が足早に出勤する姿をみると、
「あぁ!・・・パリ、かっこいいよ・・・・パリ!!」
と訳も分からず感動したものです(笑)
そんなパリともお別れの日が・・・・
「・・さようなら、パリ。そして・・・ありがとう・・・・パリ。」
自分をここまで(?)大きく育ててくれたのはパリの町並みです。たった5日間でしたがギュッと凝縮された成長率というか・・・・手ごたえを感じました。思い出深いんですけど、もう二度と行かなくていい街(苦笑)まぁそれ以外に魅力あるところがそれだけ多かったって事でしょうね~。帰国はイタリアのローマの予定でしたのでそれまでの約3ヶ月間は自由気ままでした。
(よし。次は 『リヨン』 へ行ってみよう!!)
リヨンはパリから鉄道で約5時間。一度、ディジョンという、なーんにもない町で乗り換え、ここから一気に南を目指し、地中海側に近づきます。
「ようやく”世界の車窓から”が始まるのかぁ・・・・」
長旅に備えて駅のキヨスク(?)でサンドイッチとコーラ、エビアン、果物を買い込み抑えきれないわくわく感を胸に、(同時に空腹感も抑えきれず最初の30分ですべて完食) 「ユーレイルユーロパス」 に印鑑を貰い、(印鑑を貰った日からたいていの、ヨーロッパ中の列車が乗り放題・・・)刻々と景色が変わっていくさまを楽しみました。
列車はコトコト揺られ一時間を過ぎた頃、まったく何もない、ある駅に到着。
そこでしばらく列車の休憩。みんな、一度駅を降りる。
ここまでの景色はまるで 『中世のおとぎ話』 の世界でしたねホントに!
自分は一人、列車に残り止まった駅でぼんやりと外を眺める。
外にはちょうど自分の父親くらいの人と、これまた自分と同じくらいの年齢の青年の立ち話している姿が目に写った。(あ~この青年も旅に出るのかなぁ~・・・・・)男同士の哀愁漂う雰囲気をしばらく眺めていると、次第に列車内に乗り込んでくる人の雑踏が列車の出発を知らせる。
※とにかくフランス語、英語も分からない自分は周りの空気を読んで行動するしかありませんでした(笑)
その青年が抱えたバックを下に置き、ゆっくりと、しっかりとかたく抱き合って体を離そうとしない二人・・・・・それを見た瞬間・・・・・なんだか急に胸が苦しくなりました。
(・・・あの青年もいよいよ、お別れの時なんだね・・・なんで外国の人はなんの恥じらいもなく人前であんなに抱き合えるんだろう・・・・・・・・)
今頃、日本の家族は元気にしてるだろうか・・・・・
そういやぁ、最後にオヤジに触れたのはいつだったかなぁ~・・
・・・母親は・・・・・・・・・・・・・いつだっけ?
あ~今頃、みんな、何してんだろ~・・・
ちゃんと元気にしてんのかなぁ~・・・・
自分の事、心配してんだろうなぁ~・・・・・・・・・・・・・・
気づくと・・・・・・いつの間にかポタポタと涙が落ちてました。
日本を離れて一週間もたたず・・・・
19歳にして情けない事にこれが初めての、「絶対にかかるはずがない」と思ってた、いわゆる 「ホームシック」 ってやつでした。
別に親と喧嘩の毎日だった訳ではないですよ(笑)
冷静になれば 『抱き合う』 ことだって「文化の違いで当たり前」に終わらせることが出来ます。
でもその時はその 「当たり前」 がなんと羨ましかったコトか。
高校をバイトの為に休みすぎ絶対に卒業できなかったはずでしたが特進クラスから留年者を出す訳にはいかないと奇跡的に卒業でき、そのクセ
「大学に行けなかったのは親のせいだ」
と口には出しませんでしたが、どこか小さく幼稚で情けない感情を持ってた自分。
「働いてるんだったら家を出ろ」
との父親の言葉も鼻でせせら笑い、卒業後はバイトとパチンコに明け暮れてた自分。
「自分の稼いだ金だから」
と家には一円もお金を入れず夜は遊び回って帰って来ない日もしばしば。
当時の父親は自分がかなり年配の土方のオッちゃんやヤンキー上がりの先輩達と一緒に遊ぶのを、口には出しませんでしたが物凄く嫌がっていたのを知っていました。その反発もあってか、バイトで可愛がってくれてたオッサン連中と父親を重ねみては 「なんて頑固で小さい親父なんだ・・・・」 と急に父親の背中が小さく見えて・・・・・・・小さくても必死で自分を守ってきてくれた恩も忘れ・・・・・・よく衝突して・・・・・いぇ、本当は喧嘩さえもしませんでした。同じ屋根の下で2年近くもほとんど口を聞かなかった時代でもありましたね。
そんな自分でも家に帰れば当たり前のようにご飯があり、出しておけば母親は一言も嫌味も言わず汚れた洗濯物は自動的に洗濯され、たたまれてタンスの中へ。
たった、19年間でしたがこれも勝手に飛び出した外国の、名前も知らない小さな町で抱き合う青年と父親の姿を見たとき、今までの自分を振り返りなんだか急に申し訳なくもなり、次にいつ会えるか分からない両親の事を考えると涙が止まりませんでした・・・・いや~昔から(昔は)繊細で弱虫だったんですねー(笑) この記録をつけてる今も、日記帳についた涙のシミを見ると思わず実家に電話をしたくなったりもします~
涙で霞んだ異国の見慣れない風景を眺め、ぼんやり家族の事を考えている間に・・・・・いつの間にか列車は 「茶色一色の町」、 リヨンに自分を運んでくれていました。
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コメント:7
- *月照* 09-05-26 (火) 21:24
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何度も行きたいと思ったヨーロッパ
この記事を読んでまた湧き上がってきました
次の目標は・・・フランスにしたぃなぁなんて思ったり
なんて単純な私(笑)
- 管理人 09-05-26 (火) 23:59
-
*月照* さん
行って欲しいです、おフランス!!
で、どれ位この記事が時間軸的にずれているかレポートを
よろしくです!! - 太陽 09-05-27 (水) 2:34
-
こんばんは。
初めてのホームシック…
懐かしく思い出しコメントしてます。
田舎から博多の中洲を目指した18才(笑)
オンボロ激安アパートに入居して家財はコンロと鍋と丼一つ!食事は今は無きチビ六ラーメン1日1個生活でしたね。部屋の窓からはホテルニューオータニの客室の明かり…
意味無くその日の客の入り具合を確認してましたっけ(笑)
お昼になれば春吉小学校から懐かしい給食のメニューの放送が流れてきまして…空腹から唾を飲み込んでました(涙)なんだか無性に淋しくなってですね、「幽霊さんでも宇宙人でもいいからお友達になって下さい…」とマジで手を合わせ祈ってました(でも決して怖い姿では現れないでね…と(笑)
「来るんじゃなかった…」
頭に浮かぶのは管理人さん同様不安とやはり親のありがたさの数々でした…
胸のあたりを締め付ける思いにポロポロと溢れる涙。 我慢の嗚咽は薄ぺらい壁の向こうの顔も知らない住人に聞かれたく無いが為… 布団に潜って枕を濡らした18才の自立でした。まぁ1ヶ月もすれば、同伴システムとアフターで忙しくなり、泣く暇もありゃしない(笑)ラーメン生活は直ちに卒業できました(笑)
花より団子の女の子はたくましく成長して行き昼、夜、深夜と働きに働きまくり一年後には西中洲で小さな小さなお店のママになれましたとさ。。。めでたしめでたし!
過去は過ぎ去った記憶の経験と体験であり、未来は未だ来ぬスケジュール帳ですから予定は未定!どうにでも変えられます!
今日はどんな予定を確定にして楽しんでやろうかと日々奮闘している太陽です~。思い出を長々と綴ってしまいご免なさいmm
- 太陽 09-05-27 (水) 2:46
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コメント送信した今めっちゃ恥ずかしい事に気付きました!
電車で50分の博多…
車でも1時間…管理人さんはパリでした…同じホームシックでも…
差があり過ぎやん!! - 管理人 09-05-27 (水) 10:03
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太陽さん
いーえー。ホームシックはホームシックですよ(笑)
ホームシックとは同時に嫌でも孤独を確認してしまう作業。
その中で人は大人になっていくんでしょうねー・・・・・・。
ニューオータニに春吉小学校・・・・・当時はご近所さんだったんですね(笑)
「布団に潜って枕を濡らした18才の自立でした。」これすごくわかります~(泣) - むらぽん 09-05-27 (水) 21:06
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管理人さん、こんばんわ♪
私自身も経験した「親元離れて実感する親の恩」、そして、この春に経験した子供が親元を巣立っていく時の「親の思い」、、、それと、まだ見たことのない『中世のおとぎ話』の世界が頭の中で交錯しています。。。
娘がこれから一人暮らしをはじめるアパートの玄関先で、娘をぎゅーーーーっとハグした別れ際のひと時・・・ 忘れられません。
しっかしまぁーあんなにしょっちゅうメールが来てたのに~、すっかり音沙汰ナシ子さん♪です T T ・・・さびしくなんかありませんっ(笑) - 管理人 09-05-27 (水) 23:13
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むらぽんさん
「便りがないのは元気な証拠」!!
お互いに辛い想いはありますが得るモノはそれ以上のもの、
一生の宝物です!!ここは我慢、我慢(笑)
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